むかしむかし、足柄山に山姥(やまんば)がおって、ある雷がはげしく鳴る晩、かわいい男の子を生んだと。

 山姥は、赤ん坊に「金太郎」と名付けて、夕日の滝で産湯に付けたんだって、金太郎は、まんま食うたびにぐんぐん大きくなって、毎日山ん中かけめぐったり、動物たちと遊んだりしておった。

 金太郎が岩のお手玉ができるようになり、熊を投げとばしたりするようになると、お母さんの山姥は「金太郎や、お前はもうー人前の男子じや。しつかり働いておくれ。」と言って、大きくて立派なまさかりを渡したんだと。

 すると、金太郎、そのまさかりかついで、カッツ、力ッツ、力ッー、あっちの山、こっちの山と、木を切りたおし山を治めて歩いたそうな。

 ところが、猪鼻山(いのはなやま)に暗雲がたれこめ、お天とうさんがちっとも顔を見せなくなった。

 そればかりか、強い雨が何日も何日も降り続き、大水が出たり、山がくすれたりした。「猪鼻山の主がわしらの仕事をじやましているのじゃ。」山姥と金太郎は、歯ぎしりして空をながめておったと。

  ビカッー、空を稲妻が走った。「金太郎や、そのまさかりの威力を発揮するときがきました。お天とうさんをかくして大雨を降らせているあの山の主を、さあ金太郎、戦ってきなさい。」「はい!」金太郎は、まさかりをかついで山をかけ登った。後から仲間の動物たちも続いた。

  ゴーゴー、嵐が起こった。雷雨がとどろき、山の主も力を振り絞りのしかかってきた。

  ピカッ、ピカッ、ピカー金太郎のふり回すまさかりに稲妻が何度も走った。さすがの山の主も、雲を吹きはらわれ、稲妻に焼かれ、たまらず、すごすごと逃げていってしまったと。こうして金太郎は、猪鼻山も治めることができたんだと。

 金太郎のうわさは、京の都まで伝えられていた。あるとき、金太郎は、足柄山の山中を行く武士たちとばったり出会った。武将の名は、源頼光(みなもとの らいこう)といった。それにお伴の家来たちは、ト部季式(うらべすえたけ)、碓井貞光(うすいさだみつ)、渡辺網(わたなべのつな)といった強者ぞろい。

「やあ−。おまえか、足柄山の金太郎とは?。」

「はい。」

「どうじや、わしと一緒に都へいかないか。」

「え、お侍さまの家来に?。」

 金太郎は、自分の腕がためせると、喜んでお願いしたと。

「これ金太郎、体はりっばじゃの。いっちょうわしがためしてやろうか。」「見かけだおしなら……家来になれぬのじゃ。ハッハッハー、さあ、金太郎こい!」

 はじめにト部季武が、次いで碓井占光が相手になったが、二人とも、金太郎の怪力にあっという間に押したおされてしまった。「金太郎、こんどはわしが相手じゃ、さあかかってまいれ!」 三人目の渡辺網は、すば抜けた腕力の持ち主、さすがの金太郎も、ものの見事に投げとばされてしまった。

「お侍さま、まいりました。わしは、まだ修業が足りません。」「いやいや、金太郎、お前の力は大したものだ。武士の修行など、都に行ってやればよい。」

「え、おれを家来にしてくれるのですか。」 こうして金太郎は、

源頼光にみとめられ、都に出ることになった。

 それでな、坂田公時(さかたのきんとき)と名のり、頼光の

四天王の一人として、大江山の酒含童子(しゅてんどうじ)を

退治するなど都でも大活躍をしたということだ。

             

バナー(足柄山の金太郎)

金太郎

             小田原青年会議所が発刊した

             「ふるさとの民話」第2集の中に紹介された民話

             「金太郎」を紹介。

バナーの由来

「足柄の箱根飛び超え行く鶴のともしき見れば 大和し恩ほゆ」

など万葉集にも数多く出てくる足柄地方(南足柄市 足柄上郡5町)は神奈川県西部に位置し、山紫水明・交通の要所として栄えています。

 足柄ロータリークラブのバナーは、日本昔ばなしの雄でもあり、

私たち足柄地方の誇りでもある足柄山の金太郎に登場ねがいました。